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版画家の駒井哲郎の生誕90周年を記念して、資生堂名誉会長の福原義春さん(79)が半世紀以上にわたり集めた作品を紹介する「駒井哲郎作品展 福原コレクション」が、束京・銀座の資生堂ギャラリーと静岡県掛川市の資生堂アートハウスで聞かれている。/「文化を私蔵、死蔵すべきではない」と、10年前から美術館に寄託してきた。7年ぶりの大規模な公開を機に、コレクションの歩みを聞いた。/東京の世田谷美術館に寄託した作品は、当初の約80点から資料を含めて約500点まで増えた。今回は約250点を選び、東京会場でカラー、掛川会場で白黒の作品と詩画集など本の仕事を紹介。希少な初期作品と、カラーのモノタイプ(一点もの)が多いのがコレクションの特色だ。/福原さんにとっ11目歳上の駒井は、商家出身で東京の下町育ちと共通点もあり、「兄のような感情を抱く存在」だったという。慶応幼稚舎の先輩で、6年間を通して担任も同じ歴史学者の吉田小五郎氏。「あなた方の先輩には、美術学校に進んで芸術家になった駒井さんのような人もいる」と教えられ、立身出世だけでなく「そういう生き方もあるのか」と感じた。/福原さんは1953年、資生堂に入社。仕事は忙しく、時間も懐の余裕もなかったが、偶然手に入れた駒井の個展案内状に刷られた「二匹の魚」に魅せられ、版画の頒布会で白黒の「虹彩の太陽」、カラーの「黄色い家」を買った。それから「好きだと思うものを、古書店などでぽつぽつ買っていった」という。/作品の魅力を「昭和初めのモダニズムの殼を着ながら、本質的な、永遠の美のようなものを表現しようとした」と評する。詩情豊かな白と黒の銅版画で知られたが、福原さんは「一方で美しいカラー作品があるからこそ、黒と白という制限された色彩の中で、詩情豊かな作品があり得た」とカラーの仕事にも注目し、収集してきた。/まとまった点数に達すると、「個人が家の中で眺めているだけでは、あまりにもったいない。公共の財産にするべきだ」と、駒井のアトリエがあった地縁もある世田谷美術館に寄託。それからは欠けた作品を熱心に集め、寄託してきた。「一種の使命感です。だから私の好みは、寄託までの80点に表れています」と笑う。/福原さんといえば企業メセナ協議会の会長、東京都写真美術館長なども務める財界きっての文化人。「文化は公共のもの」という考え方は、私的なコレクションにおいても貫かれた。/ところで驚くのは、生前の駒井と会ったのが1度きりという事実。死去の2年前、資生堂ギャラリーのグループ展会場で、しばらく見つめ合って別れた。「ほとんど話をしていないんです。最初は本人の生き方にあこがれた所もあるけど、それからは作品にひかれ、特に会おうとも思わなかった」/コレクターと作者の関係は様々だが、この距離の取り方に、現実を切り離して作品だけを見つめた姿勢がうかがえる。「僕も現実のドロドロとした中で、どこかで詩を求めているわけですよ」という言葉に、思いは集約されているのだろう。/展覧会は両会場とも12月19日まで。無料、月曜休み。なおこれとは別に、福原コレクションの全容を紹介する展覧会が、来年から全国六つの美術館を巡回する予定だ。

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フランスのル・モンド紙の音楽記者、マリー=オード・ルーさんに、「日本のオペラ」というテーマで取材を受けた。初来日した彼女は、日本のオペラ公演の多くが邦人キャストだけで上演されていることに驚いたという。/「これほど大勢の歌手がいるのに、ヨーロッパで活躍する日本人歌手は中国人や韓国人に比べて圧倒的に少ない。欧州で勉強した人も多いのに、なぜ日本人はもっと欧米に出て、本場での活動を目指さないのか?」/クラシック音楽が西洋のものである以上、本場で認められ、活躍してこそ本物、といった価値観には一理ある。しかし、外国で活動し続けられる才能や状況に恵まれる人は限られるのも事実だ。一方、西洋音楽が独自の文化ではない日本でこそ、アイデア次第の多様な活動を展開する音楽家も多い。ワイン講座付き演奏会や漫画「のだめカンタービレ」に結びつけたコンサートなどはその一例だろう。伝統や慣習に縛られない自由なアプローチを試みやすいのは、後発者に与えられたアドバンテージでもある。/そうした「応用」がきくのも、「定型」がある程度定着したからではないか。昨今、日本人音楽家のまじめさや丁寧さだけでなく、その演奏水準の高さに驚嘆する欧来の音楽関係者は多い。8月のサントリー・サマーフェスティバル(東京)や9月の武生国際音楽祭(福井・越前市)では、微細な音色や音量の差異が作品の評価に大きく影響する現代曲の演奏で日本人が見せた技量に、多くの欧来の作曲家たちが感激していた。/長年にわたる海外での活動を経て日本に戻ったり、海外と日本とを往復し、双方で活動し続けることを選択する音楽家も増えた。複数の選択肢があること自体、国内での活動の諸条件が整い、音楽的にも経済的にも、一応の成熟に達した証しだといえるのではないか。/真の成熟は、外からとり入れた情報や経験を十分に心聊し、独自のものに作り変える力によって実現される。内向する日本といえば閉鎖的に聞こえるが、俳句、歌舞伎、浮世絵など、今日も世界中に大きな影響を与え続ける日本文化の多くは、外国と交流後の鎖国時代に発展、確立されたものだ。/クラシックの分野でも、「本場」西洋を模倣し、追随する段階を経て、今、日本の音楽家として新たな何かを提示できる時期に来ているように思う。それは、現代の私たちに与えられた膨大な選択肢の組み合わせの妙によって生み出されるような気がする。

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表題に込められた含意が、深い。ここでいう「歴史経験」とは、過去の社会・政治的出来事の体験のことではないからだ。それは、歴史のプロセスが生んだ混乱や葛藤(かっとう)を秩序へと解消したのちの安定的視点から振り返られ、意味づけられた過去の経験ではなく、そうした過去の整除された歴史化の動きが封じ込めてきた日常の混乱と葛藤を、いまあらためて経験すべき未解決の問題として受けとめることである。/現在の、ねばりづよい実践としてあるこの歴史経験は、唯一の正しさの理念へと出来事を回収することなく、現代社会を共に生きる私たちの関係性を豊かに生成させる新たな場となる。/編者の一人である冨山一郎は刺激的な「序章」において、こうした歴史経験の奔流のなかに置かれるべき沖縄の現在を「未決性」opennessという相のもとに捉(とら)えることを提案する。未決性とは、社会秩序が正当性の歴史を獲得することによって忘却された、それ以前の、社会のなかに継続してきたいまだ決定されていない可能性のことである。それは、沖縄という場そのものを、近代国家の地政のなかですでに位置づけられた周辺性や地方性(これを編者は「ローカル」と呼ぶ)から離れて、島嶼(とうしょ)世界として自立するおのれの未決の可能性を未来に向けて問う拠点(これは「ローカリティー」と呼び分けられる)として新たに定位する視点にも繋(つな)がる。/11編の収録論文はどれも示唆に富む。戦後史上の沖縄の「主権」の曖昧(あいまい)さは、かえってそれが未決の自己決定権に拓かれている事実を喚びだし、国家ではない主体による政治の可能性を暗示する。沖縄戦の混濁する記憶をいま語り合うことは、客観化された過去から離脱して人と人を新たにつなぐいまの歴史経験として甦(よみがえ)る。基地問題をめぐる蹂躙(じゅうりん)は、平板な理論的・倫理的正義を超えたところにある、荒ぶる、踊り歌うような深い希望によってこそ乗り越えられる。本書の熱いメッセージはそう読者に語りかける。http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20101018-OYT8T00549.htm

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自分探しなどするな、他者に徹底してこだわれ。これが著者の挑発である。ブログやツイッターに氾濫(はんらん)する自己露呈の強迫と手前勝手なナルシシズム。他者のまったき不在から刹那(せつな)的につぶやかれるだけの言葉からは何の創造性も生まれない、と。/<書くこと>と<私>のあいだのこの短絡的な馴(な)れ合い関係からの脱出手段として本書が説くのが「自伝」を読むことである。自伝とは、たしかに自己への関心をめぐるテクストではある。だがそれは、言葉と自らの思念を徹底して相対化することを天職とする思想家によって書かれた豊饒(ほうじょう)なテクストだ。そうした他者の自伝に没入し、その語りに自分を曝(さら)してみる。読み手は少しだけ他者の生を生きることにもなる。他者の自省的な言葉の根を掘ってゆくと、不意に自分が姿を現したりもする。/優れた自伝とは、常識的な表皮に守られた自我の縛りから解かれた、「私」なるものの多様で未知の像を探究する行為なのだ。それは自我に淫(いん)することなく、自己を疑い、自己を突き放し、自己に抗(あらが)い、自己を風刺するすぐれて批評的な実践である。読者の「私」もまた、こうした実践に触れることで鍛えられてゆく。/自分を「異なる者」にするために書き続けたサルトル。植物への不思議な視線を介して社会と自己を接続させようとした林達夫。サイードの生涯における不眠の意味。自己を持てあます病が大杉栄のアナキズムの源泉にあること。刺戟(しげき)的な読みが随所に示され、自伝という表現がけっして素朴な「自己語り」ではなく、戦略的・創造的な「自己騙(かた)り」の場でもあることが明らかにされてゆく。/自伝は激しい思想的闘争の場であったが、どこかで自己にたいする謙虚さの空気にも包まれている。自伝の白眉(はくび)『告白録』の著者であり、書簡体によって「私」を哲学思想の場へとはじめて本格的に連れ出したルソー的精神に依(よ)りながら、著者は現代人に呼びかける。「自己は匿名性や非人称性のなかで煌(きら)めく」と。http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20100921-OYT8T00408.htm

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この十年来、私は北上市にある日本現代詩歌(しいか)文学館の館長に従事する。この五月に開設二十周年の行事として、当地から石川啄木を採りあげた。シンポジウムは「『一握の砂』から百年-啄木の現在」と題した。/第一歌集『一握の砂』が出た明治四十三年は、一九一〇年であり、ちょうど百年前に当たるが、いまもって、啄木の魅力から作歌に入る人が少なくない。また、啄木が試みた口語的発想や会話体の導入は、今日の若い歌人の口語歌を、いわば先取りしたものである。そのうえ即座に東京に順応し、都市型の感受性を身につけたことは、百年前においては珍しい。/当日のパネリストは、歌人の三枝昂之(さいぐさ・たかゆき)、小池光のほか、俳人の宮坂静生(しずお)、詩人の高橋睦郎(むつお)の諸氏が加わるという、ジャンルを超えたもので、篠が司会した。この討論において、とくに啄木の「へなぶり歌」に話題が集中する。へなへなな奴の意で、自嘲(じちょう)する。四十二年四月の日記に「予はこの頃(ごろ)、まじめに歌などを作る気になれないから、相変らずへなぶってやった」と書き、啄木は〈わが髭(ひげ)の下向く癖のいきどほろしこの頃憎き男に似たれば〉などと詠んでいた。上京した啄木は、都市の生活に慣れようとして極度に苛立(いらだ)っていた。へなぶり調はまじめを回復する、そのための通過点であって、これまでになかった生活詠が生まれる契機であったことなどが、十分に論議された。/友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ/家族詠としては虚構かと評しながらも、このいくぶん自虐的な一首に、パネリストたちは共感した。当日のシンポジウムの全貌(ぜんぼう)は、近く出る集英社の文芸誌「すばる」に掲載される。/昨秋、私は第八歌集『東京人』を出した。東京生まれの私の場合、自分の基盤をどこに置くべきか、人と抗(あらが)ってきた生き方を詠むのは難しい。とくに人間関係詠の本音は詠みにくい。/夜半(よは)に入る編集室に物言はぬひとりとなりし友を怖(おそ)れつ/鬱(うつ)病のひとを励ましてはならず鬱のわが身はシャワーに撲(う)たな/ながらへて忘れられゆくひとおもふ男盛りはむしろ短き/人を押しのけるような気負いは要らない。苦闘する人の痛みを、自分の内面でかみしめる。すぐに自分の存在も消されていくものとして捉(とら)えたい。むしろ抑えた表現に「怖れ」がひそむと、理解者から励まされる。/また、都市を描写した〈いのち生くるわれの地上に灯(ひ)のつきて横断歩道の白線消えつ〉につき、地上が見えなくなることで「自分の命がもう一度意識される」と、若い穂村弘から指摘される。爛熟(らんじゅく)した都市に生きる者の視線は揺れ動いている。ここから逃げる場はないのであり、詠みつづける覚悟が決まる。http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100912/acd1009120810006-n1.htm

――「人を押しのけるような気負いは要らない。苦闘する人の痛みを、自分の内面でかみしめる。すぐに自分の存在も消されていくものとして捉(とら)えたい。むしろ抑えた表現に「怖れ」がひそむと、理解者から励まされる」

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高齢化が進む現在、投稿者の平均年齢も上がってきていますが、そのことで俳句の世界は豊かになっている面があると思われます。/老残の身を寄す施設木々芽吹く 田保与一/着ぶくれの三本足となりにけり 関沼男/二句とも本欄で私が一席に選んだ句です。老人施設に身を置く境涯を明るく詠い、杖を突く自分の姿を諧謔をこめて詠う。いずれも偽りのない目で老いた自分を見つめている誠実さに感動しました。大切なのは技巧ではないのです。上手なだけの句は人を感心させることは出来ても、感動させることは出来ません。ありのままに現状や気持ちを表現することが人を感動させるのだと思います。/季節の中で秋には秋の句を作り、老いては老いの句を作るのが俳句の本道です。過去にはなかった高齢化社会はきっと今までになかった俳句を生みだす。私はそれに期待しています。

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先月29日に開幕した第12回ベネチア・ビエンナーレ建築展で、石上純也氏(36)が展示部門最高の金獅子賞に選ばれた。気鋭の建築家として注目著しい石上氏を紹介するとともに、ベネチアを訪れた五十嵐太郎氏に寄稿してもらった。/カーボン製の柱24本を並べた出品作品「空気のような建築」は、内覧会で倒壊する不運に見舞われた。それでも「比類のない、非妥協的な先見性を評価する」と審査員らが革新性をたたえての授賞。石上氏は「展覧会は建築の実験の場と思っている。最初は受賞が信じられなかったけど、作品において何か重要な部分か理解してくれた」と話す。/妹島和世氏の事務所を経て2004年に独立。自然や地形など環境と一体化するような建築を提案し、初の本格的な作品「神奈川工科大学KAIT工房」で昨年の日本建築学会賞をさらった。305本の細い柱を一見ランダムに並べた平屋建て。建築の存在感を抑え、あえて空間の境界や密度をあいまいにした。/「例えばこの部屋にも家具やポスターとか、建築と同じように空間を作っている要素がある。そもそも建築を最上位に置くことにリアリティーがないんじゃないかと思った」。10月17目まで東京・銀座の資生堂ギャラリーで開催中の個展にも、植物を取り込んだり、地形に建物を大胆に合わせたりした模型が並ぶ。建築は堅固で独立したもの、と考える人には、開放感や繊細さが不安に映るだろう。/しかし「建築であるからには、永続的なものとして作りたいという思いが強くある」と石上氏。「大きな山も少しずつ風化し、変化しながら成り立っている。色々な要素を含めた微妙なバランスの中で保っている方が、結果的に長い時間耐えられるものになるのではないか」と自分の建築観を語る。/今月18日~12月26日、愛知県の豊田市美術館でも大規模な個展を開催。ベネチアで倒壊した″幻の作品″も、規模を拡大して展示する予定だ。

――「305本の細い柱を一見ランダムに並べた平屋建て。建築の存在感を抑え、あえて空間の境界や密度をあいまいにした。/「例えばこの部屋にも家具やポスター とか、建築と同じように空間を作っている要素がある。そもそも建築を最上位に置くことにリアリティーがないんじゃないかと思った」」「「建築であるからには、永続的なものとして作りたいという思いが強くある」と石上氏。「大きな山も少しずつ風化し、変化しながら成り立っている。色々な要素を含めた微妙なバランスの中で保っている方が、結果的に長い時間耐えられるものになるのではないか」」

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インターネットを通じて買う本は、街の本屋にはない古書が多い。絶版になった小説も比較的安く、確実に手に入る。/東京古書組合が運営する「日本の古本屋」を愛用している。全国の2000店以上が参加するサイトだが、ある時から、どんな本を検索してもたいていリストに顔を出す「高原書店」が気になり始めた。どれだけ在庫を持つ店だろう?/炎天下、東京・町田市森野の本店を訪ねると、4階建てのビルの16の部屋には単行本、雑誌、図録、絵本……。懐かしい本の匂いが立ちこめる。ここに約20万冊、徳島の倉庫に200万冊以上というから、やはり業界最大規模だ。東京周辺で仕入れた本を毎月1・5㌧コンテナで徳島へ送る。「分類、値付け、一冊一冊の手作業なんです」と本店長の池原実歩さん(33)。好きでなければ務まらない。/「どうすれば、多くの書物を後世に残し、有効活用できるのか」/2005年末に61歳で急逝した前社長の高原坦(ひろし)氏は、その実現に生涯をかけた。大学卒業後、四国から上京し、1974年に念願の古書店を町田市に開業。売り場面積の拡大に突き進む。/「すべての本は時代の資料。いつかきっと、それを探す誰かが現れる」が信条。「そのために本のダムを造るのが悲願でした」と社長を継いだ妻の陽子さん(62)。/ネット時代の到来を歓迎し、他店に先駆けて店独自のサイトを作って注文を募り、徳島から全国へ配送するシステムを実現した。/人間のネットワークも凄い。当時、町田に住んでいた遠藤周作や八木義徳ら、多くの作家、学者が氏を信頼して書庫の整理を委ねた。直木賞作家の三浦しをんさん(33)は、店で3年近くアルバイトし、値付けも任されたという。/「かかわる本の質、量ともにハンパじゃなかった。『世の中にはこういう本がある』と学べたのは大きい」。三浦さんの知識と発想力は、ここで伸ばされたのだろう。/人材育成の場として業界でつとに知られるらしく、岡崎武志編『古本検定』の上級にはこんな問題まである。Q高原書店からは多くの人々が巣立っているが、独立した順番に六つの古書店名を並べた空欄を埋めよ。①ジャバーウオック②( )③古書音羽館・・・・・・。/②の答えは「よみた屋」(武蔵野市吉祥寺)。心理学や現代文化論に強いこの店では、しかし、在庫の1割ほどしかネットに出品していない。サイト上の値崩れを警戒してというより、店主の澄田喜広さん(46)は店頭販売を重視しているからだ。「ネットは確かに欲しい本を探せます。でも、そこには偶然、掘り出し物と出会う喜びはないでしょう?それに過去から未来を見通す時間軸も」/10月末に開かれる「神田古本まつり」は今年で51回目。青空古本市の開催地も年々増えている。カフェや雑貨屋を兼ねる新種の店も人気で、この業界、かなり若返っているのでは?そして古書店主は皆、信じているのじゃないか。/「すべての本にはいつかきっと、それを探す誰かが現れる」と。

――「「すべての本は時代の資料。いつかきっと、それを探す誰かが現れる」が信条。「そのために本のダムを造るのが悲願でした」と社長を継いだ妻の陽子さん(62)」

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「日本辺境論」などのベストセラーで知られる仏文学者で神戸女学院大教授の内田樹(たつる)さんが、ブログ上で一部の自著の刊行にストップをかけることを宣言し、波紋が広がっている。旬の書き手に群がり、出版点数を増やす「バブル」を生み出しては、すぐにはじける。出版界のそんな“悪弊”を批判する行動だが、書き手たちの賛否は割れている。/発端は大手書店の店長が書いた8月12日付のブログだ。「伝える力」が100万部を突破したジャーナリスト、池上彰さんらの「バブル」に触れ、人気の著者に依頼が殺到する結果、質の落ちた本が出回って著者も疲弊していくとして、その悪循環を批判した。/十数点の出版企画を抱える売れっ子の内田さんはすぐに反応した。13日付のブログに「大量の企画が同時進行しているのは、編集者たちの『泣き落し』と『コネ圧力』に屈したためである。(略)『バブルのバルブ』を止めることができるのは、書き手だけ」などと記し、4冊分の校正刷りの確認を“塩漬け”すると宣言。14日付で「日程がタイトであれば、書きもののクオリティはあらわに下がる」と理由を説明した。/一方、店長に「バブル」と指摘された脳科学者の茂木健一郎さんは自身のブログで変わらず執筆を続ける姿勢を強調。経済評論家の勝間和代さんもブログで「当事者がコントロールできるものではない」と、内田さんとは対照的な考えを示すなど、反響が広がっている。/騒動の背景には、不況下で加速する新刊ラッシュがある。書籍と雑誌の販売金額は昨年、21年ぶりに2兆円を割り込み、返品率は4割を超えた。売り上げの減少を補うため、出版社は自転車操業的に点数を増やしており、昨年の新刊は過去最多の7万8555点。頭数をそろえるため、引き出しが豊富で部数が見込めるビッグネームに頼る傾向に拍車がかかる。/「途中で企画がストップすれば、収益見込みの修正が必要」(出版関係者)だけに、各社の編集者はほかの書き手に賛同の動きが広がるのを警戒する。ただ、内田さんを支持する専門家は少なくない。/早稲田大大学院の永江朗教授(出版文化論)は「安価で手軽な編集ができる新書ブームがあった10年ほど前を境に、メガヒットした書き手に安易に依頼する傾向が加速した。対談や講演のテープを起こしただけの安直な作りの本が増えれば、読者離れを早め、出版文化の先細りを招くだけ。業界は今回の問題提起を真摯(しんし)に受け止めるべきだ」と警鐘を鳴らしている。http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100830/bks1008300004000-n1.htm

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結婚後も母と同居して、家事は母任せでした。/プロの作家になった翌年の1955年、息子が生まれました。私は24歳。ひたすら書くことと子どもの世話だけという生活でした。子どもが熱を出しても、同じ家にいるのでのぞきに行ける。母に添い寝をしてもらったこともあります。《婦人雑誌などから「仕事と子育ての両立」といったテーマで座談や執筆を依頼されることが多かった。夫の三浦朱門氏も作家だったため「夫婦で文学を志すイバラの道」と好奇の目を向ける新聞記事もあった》夫婦で作家を目指すのは大変でしょうと言われても、私たちはお互いの作品を読んだことがないし、文学の話なんかしない。ただ、いつも雑事は話してますから、相手がどんなことを考えているかはわかります。それは今も同じです。/ただ、プロになった時、「20代で書き出した作家はやがて壁にぶつかる」と朱門に言われた。その意味が次第にわかるようになりました。/20代の作家には「若書き」の甘さという魅力があるんです。男の人だと「僕が」と初めは書いていて違和感がないんですが、中年になるとおかしくなってくる。若い目線や若者らしい表現は必ず通用しなくなる。/「そこを乗り越えられるかどうかが一つの分かれ目になる」と言われました。/朱門の父は「セルパン」という雑誌の編集長をしていました。朱門は父に連れられて井伏鱒二さんに会いに行ったり、多くの作家を見たりしていた。消えていく作家が多いことも知っていたようです。/早く世に出た者の危険性ですね。幸福でもあるけれど悲劇でもあるわけです。/まだ小説を書くことが苦しい頃でした。書きたいことを小説としてすくい取ってくる方法がわからない。/今なら、目の前にあるものを何でも使い、短編でしたらすぐ書けます。もちろん創作だけど、様々な体験がありますから。でも20代では自分の持っているテーマも体験も少ない。つまり貯金がないんですね。/私は海が好きで、子どもが生まれた頃、神奈川県の逗子に小さな別荘を買いました。そこではよく新聞の求人広告を読んでいました。もう小説家になっていたけれど、夫が死ぬか離婚するかして、女一人で子どもを育てることになったらどうしよう。「才能の枯渇」も絶えず危惧していた。筆を折らざるをえなくなった時、どう食べていくかを考えていたのです。/英語を少し勉強したけれど、仕事はあまりない。タクシーをやれる第2種運転免許は持っていましたが、反射神経がよくないから客を拾える自信がない。/求人広告を見ると、バキュームカーの運転手はお給料が非常に高いし、できそうだと思い、私の中ではそれに決めていました。/戦時中には自宅のトイレからくみ取り、庭に掘った穴まで運んだ経験もある。そうしたことを率先してやるよう教えた母も、喜んでくれると思いました。

――「20代の作家には「若書き」の甘さという魅力があるんです。男の人だと「僕が」と初めは書いていて違和感がないんですが、中年になるとおかしくなってく る。若い目線や若者らしい表現は必ず通用しなくなる。/「そこを乗り越えられるかどうかが一つの分かれ目になる」と言われました」

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日本ペンクラブ会長を務める阿刀田高さん(75)が、中編小説『闇彦』(新潮社)を書き下ろした。来月23目の国際ペン東京大会の文学フォーラム開会式で朗読される。古事記に着想し、物語を書く根源を見つめ直した一編を、日本の現代作家を代表して世界の文学者が集まる大舞台で発表する。<私はなにかしら闇彦と遠い関わりを持っているのかもしれない>3歳の時に自分と双子の弟を失い、受験の際に肺結核を病んで療養中、小説を読みふけった主人公は、人生の折に触れ「闇彦」の存在を感じてきた。その不思議なものに押されるように物をつづり始める。/「小説は闇彦のようなものに取りつかれた人間が書くものだという気がする。私自身が作家になるつもりではなかったけど、30歳を過ぎて急に書けるようになり、800編の短編を生み出してきたから」/古事記に伝わる海彦や山彦の兄弟と異なり、主人公に憑いた闇彦は、死者の世界を支配するという設定だ。そこには、「ギリシャ神話でも『平家物語』でも和洋を問わず、物語を書くとは死者の失われゆく記憶を語り、この世にとどめることに原点がある」という独自の文学観がのぞく。/「その延長上にストーリーがあるのではないか。社会性や芸術性、ストーリーを持った、大人の読者の鑑賞に堪えるエンタ上アインメントを作りたい」と考えながら仕事をしてきたという。/1984年以来、3度目の国内開催となる国際ペン東京大会の準備に追われる。文学を通した国際交流の難しさを改めて感じるという。/「外国の人との間で、文学は翻訳を通してしか語り合えない。言語の問題があるうえ、文学が社会で求められている役割も各国で大きく違う。共通のテーマを探すのは難しいが、文学を語り合う大会にしたい」/日本ペンクラブでは、米原万里や立松和平の両氏や井上ひさし前会長を相次いで亡くした。故人への思いが、ベテラン作家を熱く突き動かしている。

――「ギリシャ神話でも『平家物語』でも和洋を問わず、物語を書くとは死者の失われゆく記憶を語り、この世にとどめることに原点がある」という独自の文学観 がのぞく。/「その延長上にストーリーがあるのではないか。社会性や芸術性、ストーリーを持った、大人の読者の鑑賞に堪えるエンタ上アインメントを作りた い」

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アウトサイダー・アートとは、正規の美術教育によらす、既成の美術界とは無縁の人々が作り出したアートのことを指す。知的障害や精神障害のある人々の作品が含まれることも多い。それらと現代アートを隔てない形で見せる展覧会が増えている。/宇都宮市の栃木県立美術館「イノセンス―いのちに向き合うアート」展(9月20目まで)。会場には多彩な約40人の作品が並ぶ。栃木県内の障害のある人々を一つの軸としつつ、アウトサイダー・アートでは紹介の多い今村花子や舛次崇たち、さらに奈良美智やイケムラレイコといった現代アートの側の作り手を加える。ともに独学で猫き始めた母子、丸木スマ・大道あやの絵画も交えている。/企画した学芸課長の小腰禮子さんは、「いのちの根源を突き詰める、瞑想的なアートとして、一緒に並べたかった」と説明する。/展示は色や形などに注目しながら、障害があるかどうか、独学か否かの境が判然としなくなるような構成を試みる。佐々木卓也の陶の女性像は、しばしば右ひじに左手で触れるポーズを取り、独自の制作意図を示す。両側の壁面には、現代アートの世界で活動する草間彌生や綿引展子の近作が並ぶ。草間は幼少期からの幻視体験を昇華してきた人だ。滞独中の綿引は自作に加え、障害者のための工房に通う現地の女性が文章を記した共作を出品する。/なお、タイトルの「イノセンス」は無垢さ、無邪気さの意味だが、誰もが抱く怒りや欲望を含めて、より深い意味でとらえてほしいとの思いを込めている。/こうした並列的な展覧会が増えてきたのは、近年のことだ。2006年の水戸芸術館「L工FE」展、08年、東京国立近代美術館などでの「エモーショナル・ドローイング」展、昨年の東京都庭園美術館「ステッチ・パイ・ステッチ」展などが挙げられる。障害者の表現を支援する側では、04年から滋賀県社会福祉事業団が境界を超えた表現の力に着目した「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」を運営している。/日本でも魅力を知る人が増え、アウトサイダー・アートの枠にとどまらない評価の段階に入りつつあるのだろう。ただし、障害者の場合は鑑賞などを目的とせずに生み出されたものも含まれる。それら多様な副作物を、現代アートの美意識や価値観に合わせて選び、鑑賞してしまうことが起こらないかどうか、そこは少し気になるところだ。/「イノセンス」展の作品選びについて、小腰さんは「実感としては苫しさがあった」としつつ、「選ぶ側の価値観を問い、むしろ揺るがせるようなものを選ぼうとした」と強調する。/現代アートの価値観を揺るがす独自性を見いだすには、粘り強く作品と向き合うプロセスが不可欠だとも言えそうだ。1990年代からアウトサイダー・アートを紹介してきた小出由紀子さんは「私たちはまだ作品を見る時間を十分には持っていないとも言える。個別の作品をじっくり見続けると、一人ひとりのストーリーが見えてくるし、そこから彼らの仕事を語る言葉も出てくるのではないでしょうか」と話している。

――「ただし、障害者の場合は鑑賞などを目的とせずに生み出されたものも含まれる。それら多様な副作物を、現代アートの美意識や価値観に合わせて選び、鑑賞して しまうことが起こらないかどうか、そこは少し気になるところだ。/「イノセンス」展の作品選びについて、小腰さんは「実感としては苫しさがあった」としつ つ、「選ぶ側の価値観を問い、むしろ揺るがせるようなものを選ぼうとした」と強調する」

読売新聞

古美術品には本物と偽物があって困る。大金をはたいて偽物をつかむのはつまらない。史料は買うが物趣味は持たぬようにしている。/ところが先日、私も骨董を買わざるを得ない状況に追い込まれた。このところ月刊誌の文芸春秋に幕末の尼僧「大田垣蓮月」の伝記を連載している。33歳で尼になった人だが絶世の美人。男たちがひっきりなしに言い寄ってきたため、「老婆の姿になりたい」と自ら歯を引き抜き、血まみれになって容貌を変えたという人だ。そのぐらいだから尼となっても人に喜捨を請わなかった。自詠の和歌を釘彫りで刻んだ陶器「蓮月焼」を作り、それを売って暮らした。/陶工でもあるこの人の世界を描くには作品を手に取らなくては始まらない。一度だけ、水戸の何陋(かろう)会という石州流の茶席で蓮月の作を撫でたがその感触を忘れてしまった。文章は対象にどこまで真摯に接触し思案したかで描写の質が決まる。どうしても蓮月の指紋のある本物がみたくなり今度ばかりは買ってでも入手しようと決意した。/しかし蓮月焼は贋作だらけ。調べてみると蓮月自身が生前から贋作を公認していたことがわかった。幕末、蓮月の陶物は人気が出て飛ぶように売れた。たちまち贋作者が出現。蓮月の贋作で5、6軒が食べていた。しかし蓮月は無欲。まったく怒らず、「わたしのせいで人が食べられるなら」とかえって喜び、頼まれると贋物に自詠和歌を刻み、「たまには真物も無いといけません」と、時折、本物をただで与え、混ぜて売らせた。/こんな偽物だらけのものをどうやって買えばいいのか。呆然としたが歴史学の知識を総動員すればなんとかなると思い直し、まず「蓮月全集」所載の蓮月書簡の分析からはじめた。蓮月は帯山与兵衛・清水六兵衛・黒田光良など窯元に焼成を依頼していた。黒田あての書簡から作陶の実態がわかる。大きびしょ12、小きびしょ53、鍋1、鉢3、香立2、花入1、大徳利2、小徳利10、千鳥1、茶呑茶碗7、というように「きびしょ」とよばれる急須が多い。本物を買うなら急須だと思った。制作数量は驚異的だ。書簡から80歳近くなっても1か月に10O点以上作ったと推測。蓮月は40歳から86歳で亡くなるまで作陶を続けた。5万点以上の作品を遺した可能性がある。当時の日本人口は3500万人。世帯数は700万軒ほど。約100軒に1軒は蓮月焼を持てる計算だから本物は意外に残っているはずだ、これは買えると確信した。/しかし真贋を見分ける方法はあるのか。あった。蓮月はいまの京都大学の敷地内に住んでいた。調べてみると京大病院増築時に蓮月の家のゴミ捨て場がみつかり蓮月焼の失敗作が多数出土。その発掘報告書が京大のホームページで公開されていた。この失敗作を基準としてそれに酷似したものを買えばいい。/私はすぐに骨董のネット販売をさがした。半分以上はすぐにわかる贋作。しかし1点だけ発掘報告書掲載の失敗作の写真に器形も刻まれた和歌の筆跡もそっくりな急須がある。しかもそれが一番安く、1万2000円。半信半疑で恐る恐る注文。数日後、その急須はきた。梱包をあけてみて驚いた。蓮月が自筆で「洛東蓮月」とサインした桐箱にぴったり納まっていた。箱書から安政2年、越後村上庄内町の佐藤忠助という人の京土産と判明。本物だ。手で包むと蓮月らしい優しいぬくもり。真贋にこだわって大騒ぎした自分の心がどうにも恥ずかしく思えてきた。

――「幕末、蓮月の陶物は人気が出て飛ぶように売れた。たちまち贋作者が出現。蓮月の贋作で5、6軒が食べていた。しかし蓮月は無欲。まったく怒らず、「わたし のせいで人が食べられるなら」とかえって喜び、頼まれると贋物に自詠和歌を刻み、「たまには真物も無いといけません」と、時折、本物をただで与え、混ぜて 売らせた」

産経新聞

「旅でもなく、日常でもなく、その境目というのが理想の状態なんですね。だから旅先で仕事がしたくなる。もちろん写真を撮ることが前提なんですが…」/街から街へ。あちこちを旅しながら写真を撮っていた山内悠(ゆう)(32)が4年前にたどり着いたのが、富士山7合目の山小屋だった。イメージにぴたりと当てはまった。/「普通には人が生きられない。生活することが旅でもある。そんな場所」/雪が残る6月に登って小屋を開ける。荷物を運んだり、登山者を世話したり…日々の仕事をこなしながら写真を撮る。10月になったら山を下りる。そうやって約4年間を過ごした。/「写真はほとんど定点観測。山小屋の前から動いていない。それでも飽きなかった。まわりの景色が勝手に変わってくれますから」/標高3千メートル。雲海を見下ろす。その視線が、そのまま作品になっている。どこまでも澄んだ紺碧(こんぺき)。太陽が昇る瞬間のまばゆさ。極彩色に染まる雲。風景はダイナミックに様相を転じる。/「ああ、僕はいま地球に立ってる、と思えるんですよ」。富士山でなく、日本でもなく、地球。当たり前のことだけれど、それを実感できる瞬間というのは、そうたびたび訪れないかもしれない。「細かいことが、どうでもよくなる感じ。シンプルに生きていこうと思えましたね」。作品を見れば、素直にうなずける。http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/100828/art1008280754000-n1.htm

――「普通には人が生きられない。生活することが旅でもある。そんな場所」