読売新聞

東京五輪の年はプロ野球の日程が繰り上げられ、シーズンは9月末に終わったんです。僕は55本の本塁打記録をつくったが、巨人は優勝を逃してしまった。皮肉にも余裕ができて、報知新聞の連載「ON五輪を行く」に協力しました。《東京五輪は1964年(昭和39年)10月10日に開幕した。日本シリーズは1日から始まっていたが、阪神と南海の対決は五輪開幕日の第7戦までもつれ、南海が日本一になった。五輪人気の前に、甲子園での最終戦の観客は1万5000人余にとどまった》報知の連載では競技観戦のほか、大会を裏で支えるコンパニオンの女性たちと対談もした。長嶋(茂雄)さんが、4か国語に堪能という人に「給料はどれくらい」と聞いたりしてね。/それから40日後です。僕は報知新聞を読んで仰天した。長嶋さんの婚約を報じている。お相手は僕らが対談した五輪コンパニオンの女性で、長嶋さんが給料の額を尋ねた人でした。/亜希子さんに一目ぼれだった。さすが長嶋さんですよ、行動が素早い。/それで24歳の僕も考え始めたんですね、そろそろ身を固めようかなと。周りを見渡したら、恭子以外にいなかったのです。《66年1月6日、王選手と小八重恭子さんの婚約会見が東京都内のホテルで行われた。記者の質問に、21歳の恭子さんは「朗らかで生命力にあふれ、研究熱心な男らしさにひかれました」とほおを染めた》出会ったのは59年9月13日でした。僕には特別な日なので覚えています。/僕は新人で多摩川の合宿所に入っていた。合宿所から丸子橋を渡って電車で後楽園球場に行くんですが、中で雨が降ってきてね、雨宿りをしました。/そうしたら恭子も友達と2人でサイクリングに来ていて、向こうも雨宿りに来た。友達が野球に詳しく、「王さんですか」と声をかけてきました。恭子はお下げ髪でね、黙ってにこにこしていました。/当時は暇です。遊びにいらっしゃいと言ったら合宿所に2人で遊びに来た。僕は19歳で向こうは高校1年です。変な気はまったくありません。話すうちに野球に関心がない恭子に僕の気持ちは傾いていった。新人の僕は成績が悪く、野球の話はしたくなかったんですね。/切れそうで切れない不思議な6年の交際でした。向こうはお見合いをしたこともあったと聞きました。/65年8月5日です。川崎球場での大洋戦に向かう車中でね、「そろそろ決めようか」と言うと黙ってうなずいてくれました。《結婚式は66年12月1日に行われ、恭子さんは文金高島田で式に臨んだ。披露宴の招待客は1200人という多数に上った》恭子は2001年12月に亡くなるまで僕を支えてくれた。だから引退を決めた時もまず恭子に話しましたね。感謝しています。

――「僕は新人で多摩川の合宿所に入っていた。合宿所から丸子橋を渡って電車で後楽園球場に行くんですが、中で雨が降ってきてね、雨宿りをしました。/そうしたら恭子も友達と2人でサイクリングに来ていて、向こうも雨宿りに来た」「恭子はお下げ髪でね、 黙ってにこにこしていました」「話すうちに野球に関心がない恭子に僕の気持ちは傾いていった。新人の僕は成績が悪く、野球の話はしたくなかったんですね」「切れそうで切れない不思議な6年の交際でした」

読売新聞

「子供たちのために使って」――。バンクーバー五輪・男子フィギュアスケートで、銅メダルに輝いた高橋大輔選手(23)が、滑りの手ほどきを受けたのは岡山県倉敷市の小さなスケートクラブだった。当時クラブは運営費に困窮したが、謎の人物から送られる毎月1万円の寄付が活動を支えた。同封の手紙には「T・H」と頭文字の署名があった。クラブの監督らは、教え子の快挙の喜びをともに分かち合いたいと、送り主が名乗り出てくれることを願っている。高橋選手は倉敷市出身で、小学2年の時、「倉敷フィギュアスケーティングクラブ」に入った。元女性スケーターの佐々木美行(みゆき)さん(53)らが設立。監督として指導にあたっている。市内にリンクができたのを機に15年前に結成され、高橋選手は1期生だ。/佐々木さんは高橋選手の才能に気づき、1日数時間の練習を課した。しかし、苦労したのは練習場所の確保だった。設立当初、クラブは思うように子供たちが集まらず、資金が不足。1時間2万円のリンクの使用料も工面できず、一般の時間帯に他のお客さんに交じって練習していた。/佐々木さんの家に差出人の名前がない茶封筒が初めて届いたのは、5年ほど苦しい運営を続けた後の1999年。1万円が入っていた。その後もほぼ毎月届き、約3年続いた。「子供たちのために使って下さい」とペン書きの便せんが添えられ、「T・H」と記されていた。しかし、なぜ窮状を知ったのか、男性か女性かも分からない。/高橋選手はジュニアの世界で頭角を現し、中学2年で世界大会に出場するほど成長。手紙が途絶えたのはその頃という。/<GO(ゴー)! Da(ダ)i(イ)su(ス)ke(ケ)>/クラブの仲間は世界大会に高橋選手が向かうとき、応援の横断幕を作った。この製作費も、積み立てていた寄付金で賄った。横断幕は高橋選手のファンの集まりに引き継がれ、銅メダルを決めた18日(日本時間19日)も掲げられた。/クラブは現在、小学2年~大学生の約50人。高橋選手を出したことで有名になり、資金に困ることはなくなった。佐々木さんは教え子が栄光を手にする瞬間をテレビで見守った。「活動費の限られた苦しい時期に支えてもらい、本当にありがたいと思っています。T・Hさんに直接、会ってお礼を言いたい」と話している。/19日(日本時間20日)の記者会見で、高橋選手も笑顔で語った。「応援してくださったすべての人たちに、感謝の気持ちを伝えたい」http://osaka.yomiuri.co.jp/sports/other-games/20100221-OYO8T00378.htm

――高橋大輔の身内か親族じゃないんですか。「T」だけに。

読売新聞

朝青龍は、常に「品格」を問題視されてきたが、そもそも横綱は、なぜ品格を求められるのか。他の地位と異なり、負け越しても番付が降下しない特権に守られる一方、責任を果たせなければ、残された道は引退しかない。その「責任」の中には立ち居振る舞いを含め、全力士の模範となることも含まれている。横綱審議委員会が4日に突きつけた引退勧告書では、朝青龍をこう断じた。/「畏敬さるべき横綱の品格を著しく損なうものである」/神話の世界に登場する力比べや、五穀豊穣を祈る神事の一環に端を発する大相撲の世界。横綱は元々、番村上の地位ではなかった。江戸時代の大関だった谷風と小野川が、行司の総元締だった吉田司家から綱を締めて土俵入りをする免許を与えられたという史実があり、これが「横綱制度」の始まりとされる。つまり、強さよりも、土俵入りを任せるのにふさわしいと認めた力士を名誉称号の「横綱」と呼んでいた。/番付最高位と初めて明文化されたのは、1909年に規約が改正されてから。その頃から、成績をもとに横綱免許が与えられるようになり、次第に「品格」に加え、「力量」も重視されるようになった。だが、成り立ちの経緯からも、「品格」は常に昇進の際に論議の対象となってきた。/過去にも、休場中に野球観戦をして引退に追い込まれた前田山や、部屋で暴力を働いて廃業した双羽黒のように、品格が問題視された横綱は存在した。朝青龍の場合も、横綱昇進前から乱暴な言動が取り上げられ、横審が推薦した際、「品格は師匠が厳しく指導すること」というただし書きを付けていた。

――「神話の世界に登場する力比べや、五穀豊穣を祈る神事の一環に端を発する大相撲の世界。横綱は元々、番村上の地位ではなかった」「強さよりも、土俵入りを任せるのにふさわしいと認めた力士を名誉称号の「横綱」と呼んでいた」

化粧したらデーモン閣下Ⅱ。

化粧したらデーモン閣下Ⅱ。

読売新聞

世界王者が続々誕生するなど、日本のボクシングが元気だ。背景には王座の乱立があるが、家族的なジム制度も好調を支えている。/今11月に行われた世界ボクシング協会(WBA)スーパーフェザー級タイドル戦で、内山高志選手が王座を奪取し、日本のジムに所属する男子の世界王者は6人に増えた。これまでは2006年と08年の一時期に7人になったのが最高で、それに迫る勢いだ。/ここ数年の好調は、王座が増えたという背景がある。現在、WBA、世界ボクシング評議会(WBC)、国際ボクシング連盟(IBF)、世界ボクシング機構(WBO)が「主要団体」と呼ばれ、日本ボクシングコミッション(JBC)はWBAとWBCを公認。ただでさえ、1階級に4人の王者がいる中、最近は「暫定王者」が続々と作られ、問題になっている。/暫定王者は、王者がけがなどで防衛戦ができない場合、上位選手を戦わせ、暫定的な王者を認定する制度。最近は複数団体を制した王者も「統一王者」と認定し、別に正規王者も作り始めた。JBCの安河内剛事務局長は「認定団体が『暫定』をつけることで興行主を救い、良い選手が他団体に流出することを防ごうとしたのではないか」と説明する。/ただ、不況でライバル国が低迷する中、日本が世界の中で力を持ち続けている点も見逃せない。/80年代から90年代にかけ、張正九、柳明佑ら名王者を輩出し、日本にとって壁のように存在したのが韓国だが、現在、4団体の世界王者はゼロ。スポンサー頼みの興行のため、不況の波をもろに受け、低迷している。一方の日本は、昨年国内で行われた興行数が260と微減(08年は275)にとどまっており、ジムの数は逆に286(08年は270)と、前年より増えた。評論家のショー小泉氏は「ジム制度の日本は家族的な雰囲気で選手を育て、結びつきも強い。欧米はプロモーターが一括して切符を売るが、日本はジムのみんなが1枚1枚、切符をさばくので、不況の中でも強い」という。/昨年11月に亀田興毅選手が内藤大助選手を破った試合は、平均視聴率43・1%(関東地区、ビデオリサーチ社調べ)という驚異的数字をマーク。NHK「紅白歌合戦」を抑え、年間視聴率の1位になった。ハングリースポーツの代名詞とも言われるボクシングだが、まさに不況の中でも根強い人気がある。戦後の復興期には白井義男の活躍が国民を勇気づけたが、ボクシングには苦しい時代にマッチする側面もあるようだ。

読売新聞より

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読売新聞

反骨心をむき出しにしても、やっぱりダンディーだったから、ファンにとっては、たまらなかった。/巨人で育った。ドラフト6位入団ながら、1㍍78、68㌔の細身をめいっぽい使ったサイドスローで6年間で62勝をマーク。そして1979年、江川卓さんとのトレードで阪神へ。「同情はしないでほしい」。縦じまを着る前巨人エースの言葉に、阪神ファンはしびれた。/阪神がキャンプを張る高知県安芸市では、30年たった今も語り継がれる。この年、小林(繁)さん見たさにファンが殺到、球場前の国道が大渋滞になって選手は仕方なく走って帰った。/ファンの期待そのまま、小林さんのベクトルは巨人に向いた。22勝をマークしたこのシーズン、巨人戦は8勝負けなしたった。/2003年、18年ぶりに阪神がリーグ優勝をしたとき、インタビューした。言及したのは、やはり巨人戦のこと。「巨人戦に強かった(17勝10敗1分け)のはただただ星野監督の現役時代からの巨人に対する思いがそうさせた」。細面に笑顔を浮かべながらも、語り口は熱かった。/阪神では5年間で77勝。最後の年となった83年も13勝を挙げながら「思うような投球が出来なくなった」と突然引退した。身のこなしも、実績も、ダンディーという言葉が似合った。/ソフトバンク・王貞治球団会長「一時代を築いた好投手でした。これから後進の指導や、多くの子供たちに野球の素晴らしさを伝えてほしかっただけに、まだ57歳という若さで逝ったことは残念でなりません」/阪神・真弓明信監督「阪神に同じ年(1979年)に入団し、キャンプで同部屋たった。ともに気疲れしていたのか、二人でよく寝坊した。マウンドでの気迫はすごく、特に巨人戦では後ろから見ていても気持ちで投げていると感じた」

――「そして1979年、江川卓さんとのトレードで阪神へ。「同情はしないでほしい」。縦じまを着る前巨人エースの言葉に、阪神ファンはしびれた。/阪神がキャ ンプを張る高知県安芸市では、30年たった今も語り継がれる。この年、小林さん見たさにファンが殺到、球場前の国道が大渋滞になって選手は仕方なく走って 帰った」

読売新聞

いよいよサッカーのワールドカップイヤーである。今からワクワクしている方も多いだろう。/サッカーの醍醐味の一つ。それはその戦いに、我が身、我が組織を重ね、答えを探すことではないだろうか。〈強い組織を作るには?〉個々の技術か判断力か。やっぱり結束力と献身的な姿勢だよ・・・・・・などなど、サッカーを肴に議論するのも楽しい。/「いやいや、結局、今の日本は『即戦力』頼みなんですよ」と苦笑するのは、長年サッカーコーチングを研究してきた筑波大の浅井武准教授(53)だ。/Jリーグのジュニアユースやユースの選手を中心に、体格や運動能力の経年変化を調査してきた浅井さん。ジュニアからユースヘ、ユースからトップチームヘ、と各段階で選抜された選手群と、落選していった選手群のデータを比較したら、ある傾向がくっきりと浮かんだという。選ぱれていたのは元々「体格」と「筋量」が優れていた選手で、「技術力」や「判断力」などはあまり関係ないというのだ。体格や筋量は持って生まれた能力によるところが大きく、入団時に上位だった選手が最後まで上位、下位の選手は下位のままで、差が縮まることはあまりないらしい。「要は、元々パワーのある子が最後まで生き残ってるんです」/たしかに、フィジカルの強い選手は即戦力となりやすい。監督が手っ取り早く結果を出したいなら、技術や判断力に才能を感じる選手を育てていくより確実なのだろう。世界の中村俊輔も、子ども時代は体が小さく、地元クラブのユースには上がれなかった。/「それでは国内では勝てても、体格に勝る世界とは戦えないのでは」と浅井さんは危惧する。日本の指導者は、目先の勝利にとらわれるあまり、富士山は踏破させても、エベレストを目指す子どもを育てていないのではないか、と。/サッカーだけの話だろうか。/例えば、2006年に全国約660校の高校で発覚した必修科目の履修漏れ問題。受験にあまり関係ない世界史の授業を、英語や数学などに振り分けるケースが多かった。目先の大学合格率のために、子どもだちから歴史観を身に着ける機会を奪ったわけだ。/科学や文化事業に次々と廃止判定を下した事業仕分けにも似た危惧を感じた。各地で本の読み聞かせ活動を支えてきた「子どもゆめ基金」もかろうじて来年度の事業は継続されるが、政府出資金100億円は国庫に返納される。/本を読んだからといって、すぐ有名大に合格できるはずもない。だが、経済協力開発機構(OECD)が世界の15歳を対象に行った学習調査の結果を思い出してほしい。日本は「読解力」が15位で、1位の韓国に大きく水をあけられた。実は過去の同調査で日本人の半数が「趣味で読書はしない」と回答していた。無縁とは思えない。/日本人は勤勉で、すぐ結果を出そうとしがちだ。だが、もっと長い目で、底力アップを目指す度量があってもいいじゃないか――。おっと、ワーールドカップはこの限りにあらず。結果は出して下さいね、岡田監督(笑)。

読売新聞

「未曽有」を「みぞうゆう」、「踏襲」を「ふしゅう」……。麻生前首相が国会などで誤読した熟語だ。読みの難度を、ゆとり教育導入後の教科書などから区分すると、「踏襲」は中学卒業レベル。「未曽有」は、「曽」の字が今の常用漢字にないこともあり、大学・一般レベルと言える。/「誤読報道」が相次いだ2008年秋以降、「漢字本」が良く売れるという現象が起きた。代表的な書籍は同年10月からの4か月間で約65万部販売したという。/著書「国家の品格」で知られる藤原正彦・お茶の水女子大名誉教授(66)は、「漢字が読めないのは読書をしないから。大局観を持つためには活字に触れて教養を身に着けることが必要なのに、今は大人も子供もあまりに本を読まない」と嘆き、こう指摘した。/「漢字の本が売れるのは、学校教育がだらしないためでもある。ゆとり教育以降、教師が『教える人』でなく『子供の支援者』になって漢字を教え込むような厳しい指導が存在しなくなった。今回の騒動は、基本は国語、という姿勢を国民が取り戻す機会にすべきだ」/国際学カテストでは、日本の子供の読解力の成績が海外と比べ低迷していることが判明した。大人の学力も、間もなく国際比較の対象になる。成人の読解力、数学力、「IT活用能力」などをテストする「国際成人力調査」が、日本も参加して11年から始まるのだ。/実施主体となる経済協力開発機構(OECD)教育局のアンドレア・シュライヒャーさんは、「労働市場の国際化で大人にも国際的に通用する学力が求められている」と調査の趣旨を語る。教養より、ビジネスで即戦力になるような力を重視する調査になりそうだ。/「小切手と手形の違いは?」昨年末、千葉県市原市。産業用機械工具販売などを手がける三友鋼機グループの管理部門「サン・アシート」社で、関係会社の経理担当社員が自主勉強会を開いていた。同クループでは、中学レベルの学力試験を年1回行うほか、朝礼での時事問題スピーチなどで社員の学力強化に取り組んでいる。/始めてから離職者が減り、売り上げも伸びたという。石坂左京社長(49)は、 「学習で社会常識や意欲が養われる。勉強は大人こそ必要」と話す。/昨年秋から中高生向けに始まった言語力検定。主催する「文字・活字文化推進機構」(東京)によると、企業単位での参加も目立った。11年からは、社会人向けの検定も実施する予定だ。/同機構が定義する言語力は、「読み、書き、考え、伝える力」。この力が今、プロサッカーの世界でも注目されている。瞬時に局面が変わるサッカーでは、言葉、アイコンタクト、身ぶりによる表現の力が求められる。そのために必要な基礎が言語力なのだという。日本サッカー協会の田嶋幸三専務理事(52)は「言語力は、日本が世界で勝つために不可欠」と言い切る。/未来の日本代表を目指す中高生が学ぶ「JFAアカデミー福島」には「言語技術」講座があり、小説を読んで内容を討論する、絵画に描かれた状況を説明する、といった授業をしている。小論文の宿題もある。/同アカデミー所属の中学3年、中山知之さん(14)は、ピッチ上でミスをした時、原因を自己分析して仲間と話す習慣がついたという。「毎日のように文章を書き、本を読みます。授業を通じ、まず人の話をきちんと聞かないと自分の意見も言えないと思うようになった」と大人びた表情で話した。

――「「読み、書き、考え、伝える力」。この力が今、プロサッカーの世界でも注目されている。瞬時に局面が変わるサッカーでは、言葉、アイコンタクト、身ぶりによる表現の力が求められる。そのために必要な基礎が言語力なのだという」「ピッチ上でミスをした時、原因を自己分析して仲間と話す習慣がついたという。「毎日のように文章を書き、本を読みます。授業を通じ、まず人の話をきちんと聞かないと自分の意見も言えないと思うようになった」

産経新聞

三屋 キャッチャーの方がベンチで立たされているのを見ると厳しなあと感じますが…。/野村 むかしは「優勝チームに名投手あり」だったけど、いまは「優勝チームに名捕手あり」なんですよ。キャッチャーの育成に成功したら、チームづくりの半分はできたようなもの。そのために理を持って指導しています。厳しさは愛情の裏返しでもあるんです。/三屋 厳しさって信頼の裏返しでもあるんですよね。信頼関係ができて「これぐらいの負荷をかけても大丈夫」という見極めができたとき、厳しくなるんです。野村さんが理屈でものを考えていらっしゃるのは、もともとの資質なんですか?/野村 根底にあるのは、人一倍野球が好きだということです。好きっていうところからスタートしているから、野球にかかわることに興味がわく。それがないと、感じるものも感じなくなっていくでしょう。「感じないから、何も考えない」では話にならない。『人間の最大の悪は鈍感である』。まさにそう思いますね。(中略)/野村 間違いないからね。「気合だ」「根性だ」と言っておけば楽なんですよ。/――三屋さんは指導するときに、何を大事にされましたか/三屋 私も「考える」ということをすごく伝えたかったです。われわれのころは、考えることよりも動くことを強くいわれてましたからね。「とにかく一生懸命やれ」ばかりで。だけど選手は、その状況で何をすべきかを考えられないといけない。ピンチになったときに人にすがるわけにはいかないでしょう。それで、指導者になったら「普段の練習から自分の行動に理由をつけてください」「なぜそこに打ったか理由を持ちなさい」と言ってきました。でも高校、大学で急に言っても無理なんです。小さいときから考えていないと。そこが圧倒的にアメリカやヨーロッパの指導と違うところだと思います。/野村 『教えないコーチが名コーチ』という名言がメジャーリーグにはあるんです。これは、選手自身の問題意識を育てることが重要だという意味でしょう。自分で「なぜ」「どうすればいいのか」ということを考えて、答えが見つからないとき、初めてコーチに答ええを出してもらう。日本の指導者は「オレは一生懸命仕事している」「オレはこんな理論を持っている」と、自己満足のPRしているように見えてしようがないんです。/三屋 心理学のリーダー論のところに同じようなことが書かれていました。習熟度の低いチームの場合は説得・説明型のリーダー、中程度なら参加型、そして習熟度が高ければ委譲型、つまり権限を任せるようなリーダーが求められると。メジャーリーグは選手の習熟度が高いから、任せた方が力が発揮できるんでしょう。逆に子供たちの場合は任せたらバラバラになってしまうから、根本をきちんと伝えられるリーダーが求められる。野村さんが優秀なのは、任されたチームの習熟度が瞬時に分かって、指導法を柔軟に変えられるところだと思います。経験と、リーダーとしてのセンスの良さなのかもしれません。/――野村さんはかつて少年野球の指導もされていました/野村 子供には基本的に「野球って楽しいだろ」ってことを教えてましたね。野球が好きになると練習する楽しさ、つまり自分が変わっていく楽しさがある。それに少年野球の監督は間違ったことを教えられないから、常に自分が指導していることは正しいかどうか、反省材料にしていました。(子供は)純粋に100%信じてますからね。『信は万物の基をなす』というように、指導者によってチームががらっと変わるんです。(中略)/野村 プロ4年目に限界を感じて、「データ」なんて言葉もない時代にデータ収集をやり始めましたね。「オレはこれをやらなきゃ、プロで生きていけない」と感じましたから。/三屋 野球って、こんなボール投げてくるだろうとか、駆け引きがあるわけですよね。(中略)/野村 全打者に共通したテーマは、変化球への対応力なんですよ。バッターによっては狙い球を絞らなくてもついていける人もいるけど、そんなのはイチローとか松井(秀喜)とか、10年に1人。ほとんどの人間は不器用に生まれてきているわけです。だけど、私は狙い球を絞る=不器用な方が強いと思うんですよ。器用なやつは器用にできてしまうから考えない。不器用なやつは人のやらないことを考えたり、ヤマを張ったりしないと対応できない。長い目で見たら最後は不器用な方が勝つよ、と。それだけ苦労して、試行錯誤してやってきているわけだからね。/三屋 野村さんは監督になっても、ベンチで相手ピッチャーの心理を考えていたんですか?/野村 考えてましたね。(メンバーを)集合させて指示するよりも、ベンチの隅まで聞こえるような声で「次は変化球だ」なんて1人でささやいていました。選手は「よう当たるな」と不思議な顔していますよね。選手を集めるより、ベンチで大きな声で解説している方が選手の耳に届くんですよ。興味あるやつはおれのそばにくるしね。いいサンプルが目の前で展開しているわけだから、試合中の方が選手には伝わります。さらにもうひとつの狙いは選手からの信頼。信頼度が高まると思うんですよ。自分の予想があんまり当たるので、選手は感心しますよ。野球よく知っているなあとか、いいところ見ているなあとか。そういう積み重ねで、このオッサンについていけば大丈夫だと。そういう関係が生まれてくるんじゃないかな。/野村 そういえばこの前、とんねるずの番組(『みなさんのおかげでした』)に出て、嫌いな食べ物を当てるヤツで勝ちましたよ。(元プロテニス選手の)杉山愛に、一発で。人間は必ず心理が表に出るからね。(杉山が)だまそうとして、嫌いなものを特においしそうに食べているなあと。いま(番組のコーナーで)3連勝中。あれも心理戦だよ。/三屋 それも、野村さんが長年培ってきたものなんでしょうね。(中略)/野村 野球は確率のスポーツ。確率の高いものを狙うのが常識なんです。技術だけじゃ限界がある。限界の先がプロの世界なんですよ。今まで日本で70年(プロ野球の)歴史があって、4割打ったヤツは誰もいない。2割5分から3、4分のアップをどうするかは、そんなに難しいことじゃないんです。敵を知り己を知れば…孫子の兵法じゃないけれど、相手ピッチャーを知り自分の技量を知る、そういうところから読みというのは生まれる。そして確率の高い球を待てということです。(中略)/野村 データ、データと言われるけど、データは判断材料。「決断」までくると勇気だけです。「判断」までは根拠があるんだけど。/三屋 なるほど。メモしておこう。http://sankei.jp.msn.com/sports/baseball/100101/bbl1001010701004-n1.htm

――「全打者に共通したテーマは、変化球への対応力なんですよ。バッターによっては狙い球を絞らなくてもついていける人もいるけど、そんなのはイチローとか松井(秀喜)とか、10年に1人。ほとんどの人間は不器用に生まれてきているわけです。だけど、私は狙い球を絞る=不器用な方が強いと思うんですよ。器用なやつは器用にできてしまうから考えない。不器用なやつは人のやらないことを考えたり、ヤマを張ったりしないと対応できない。長い目で見たら最後は不器用な方が勝つよ、と。それだけ苦労して、試行錯誤してやってきているわけだからね」

読売新聞より

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読売新聞

大相撲秋場所が終わってしぱらく経つが、今も余韻が残っている。千秋楽の最後まで白熱の土俵がつづき、門外漢のひとりに過ぎない私などもTVを通じて、毎夕楽しんだ。危ぶまれた朝青龍が復活し、白鵬との勝負は負けて勝つというスリル満点の展開となった。/朝青龍も白鵬もモンゴル出身だが、彼らだけではない。琴欧洲や日馬富士など、上位陣の多くが外国人になってしまった。これは21世紀の日本にとっておめでたいことだが、多少の懸念がないわけではない。いまの相撲協会の対応を眺めていると、一方で国際化の波をうまく受け入れていながら、他方で国技としての性格を強調しすぎるように見えることである。/問題は、朝青龍が地方巡業をサボってモンゴルで競技に出ていたという事件で顕在化した。問題はともかく収まったが、どうもこのままでゆくと、これからも繰り返される可能性がある。相撲が日本の伝統的な国技であることは当然だが、これだけ国際化すると、柔道と同様、国際社会との問に不適応が起こりかねない。/朝青龍は「私は日本が好きだから」と愛嬌を振り巻き、内館牧子さんとの握手が大きくTVの映像に映し出されていた。本来、朝青龍がサボったことも、祖国の政府の依頼だったようで、そうだとすれば、外国出身の力士たち全員の問題となる可能性がある。要するに、今日、相撲は国技であると同時に国際競技となりつつあり、外交問題となる側面をはらんでいる。出身地が中国周辺、ロシア周辺の小国であることも問題を複雑にしている。/モンゴルという存在は、ジンギス汗、クビライ以来、日本との関係は深く長い。梅棹忠夫という人類学者は、現地観察を『モゴール族探検記』(岩波新書)という大ロングセラーとしてまとめ、著作の出発点とした。また、作家の司馬遼太郎は大阪外語大のモンゴル語科を卒業し、晩年の著作は『草原の記』(新潮社)たった。梅棹さんも司馬さんも、日本を代表する著作家であるが、お二人の観察はモンゴルを拠点として、中国大陸やシベリアに及んでおり、今後とも東アジアを占う重要さを含んでいる。/モンゴルと交流することは、そうした歴史や文明とつながっており、日本側の国技という視点だけではすまない問題であろう。伝統は大切であり、儀礼や格式は社会の基礎である。ただその伝統も不断に外からの波によって変革を強いられているのが歴史である。21世紀の日本人はこの二面性を巧みに使いこなし、国際社会から親しまれ、尊敬される存在となる必要がある。/グルジア出身の力士がいる。このスターリンの出身地が、今日のロシアの中で難しい立場に立だされている。われわれは、グルジア出身の力士と付き合うことで、自然にグルジアという地域の今日の問題を学びとることができる。そうした世界市民となることも、日本人としての伝統を磨くことと同様大切なのであり、21世紀を生きる資格要件のように思う。われわれ自身の振る舞い方を工夫してゆきたいものである。

――相撲が国際競技というのはちょっと違うのでは。さまざまな国の歴史や文化を背負うと言う外国人力士の活躍は確かに華々しいけれど、かの国のそれを云々する以前に日本人として扱われている。何しろ日本人としての名前(しこ名)を与えられているのだから。そもそも「~場所」として正式に外国にて開催地が設定されているわけでもないのだから、国際競技とはいえず、少なくとも国技、世界市民としての資格を語るならむしろ日本という国が長い歴史の中で培い守ってきた礼儀作法、伝統文化を今後とも守り続けてゆくのだという不断の意志こそ、欠かせないのではないか。それがたとえ建前であったとしても、否建前に過ぎないからこそ内館牧子女史があのように振舞わざるを得ない、それが神経質で偏屈なものとして映る(映す)ことこそを問題にすべきだ。

読売新聞

山梨県高野連が秋季高校野球県大会の決勝を放映しないよう地元ケーブルテレビに求め、放送が中止されることが1日わかった。/秋の県大会の優勝校などは関東大会に進み、そこでの成績が選抜出場の重要な判断材料になる。県高野連は、関東大会で県代表が研究されないように、放送しないよう要請していた。/「日本ネットワークサービス」(甲府CATV、甲府市)によると、11日に予定されている秋季大会決勝の放送許可を県高野連に申し入れたところ、「遠慮してほしい」と断られた。/甲府CATVはこれまで春と夏の県大会をはじめ、秋も決勝など上位の試合を放映してきた。/県高野連の渡辺圭一郎理事長は許可しなかったことを認め、「複数の加盟校から『相手に研究されてしまうので、放送してほしくない』との意見が出ていた。テレビ放送は選手の思い出になる面もあり、今後は幅広い意見を聞いた上で判断する」と話している。http://www.yomiuri.co.jp/sports/yakyu/news/20091001-OYT1T01200.htm

――自分が映ってるテレビ映像は一生の思い出になるだろうに。つくづく高校野球っていったい・・・・・・。

読売新聞

国際柔道連盟(IJF)の理事を退いた山下泰裕は、温めていたアイデアを次々と本格化させた。/2006年から会長を務める神奈川県体協では「いじめ撲滅運動」を始めた。「神奈川は中学生の7割、高校生の4割が部活動を中心に何らかのスポーツをしている。その子どもたちがフェアプレーの精神を発揮すれば、いじめなんてなくなるはずだ」という山下の発案に、多くが共鳴した。/スポーツマンが身近でいじめられている子をかばい、一緒にスポーツをするよう声をかける。そんな運動は他県にまで広がりを見せている。「小さい頃、暴れん坊だった私が、柔道の指導を受けて変わることができた。スポーツで人間は変われるというメッセージを神奈川から発信していきたい」と言う。/柔道を通じた青少年の健全育成をと06年から始めた「NPO法人柔道教育ソリダリティー」では「海外柔道普及団体支援事業」を展開。中国・南京市に友好の柔道館開設を目指している。/南京は日中戦争時代、両国間に癒えない傷を持つ土地柄だけに、昨年11月に視察にたつ際には、知り合いから「気をつけろ。危ないらしいぞ」と言われ緊張した。だが、現地在住の日本人との食事会で参加者から「南京では温かく迎えられ、嫌な思いをしたことは1度もない。現地の日本人女性は、できれば南京の人と結婚したいと思っている人が多い」という話を聞いた。今は柔道館を両国の友情の証しに、と意気込む。/山下は、戦いに勝つためにずっと柔道をしてきた。しかし、ある時から、勝ち負けを超え、「自分の目指すものが誰も傷つけず、人々の喜びとなるような活動をしたい」と思うようになった。それが教育だった。「人を育てたら、自分がその地位を去っても全く寂しくない。去るということは夢を人に託すこと。後輩に有為な精神を引き継ぐことが自分の仕事だ」/それが、幾多の栄光と挫折をくぐってきた山下が見つけた「道」だった。

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日本人と体格的にも大差がなく、美しくパスをつなぐスタイルなどから日本のお手本とされるスペイン。ところが、育成環境には大きな違いがある。スペイン協会上級コーチングライセンス(日本のS級に相当)を持つ村松尚登さん(36)は、「6~7歳から、毎週末にリーグ戦を行っていることがスペインの強さ」と話す。スペインでは小学生年代でも、プロと同じように、秋から翌春までのりリーグ戦が延々と続く。日本ではノックアウト方式の勝ち抜き戦が中心だ。/村松さんは、自身の日本での高校時代を振り返り「負ければ終わりだったので、試合に出るのが怖く、ストレスだった」。それに対しスペインでは「負けても次があるので、リスクが冒せる」。セーフティーネットが整備されている環境が、自分の責任でシュートというリスクを冒せるチャレンジ精神を育む。/ポジションについての考え方も180度異なる。日本ではGKからFWまでを経験させる指導が多いが、スペインでは才能を見極めて早いうちから固定する。/「FWは子供のころから得点を取り続けることで、トップまで登り詰める。たとえば、スペイン代表FWのボヤン(18)(バルセロナ)がチャンスのあるところにいるのは、このような環境で得点感覚を養い、結果を残し続けてこられたから」と話す。/スペインの強豪バルセロナのジュニア向けサッカースクール「エスコラ」本校でコーチを務める白石尚久さん(33)は、欧州強豪チームの練習方法に詳しい。かつて元日本代表MF小野伸二(ボーフム=独)が所属したオランダの強豪フェイエノールトでは、数年前からシュート専門のコーチがいて、14歳からトップチームまでを見ているという。/シュートコーチは、ゴール近くまで攻め入りながら得点できなかったケースを分析して、パターンを抽出。試合での実際の場面のように相手DFを置いて、どうすればゴールできるかを反復練習する。また、選手個人がプレッシャーに弱ければ精神面を、右足のシュートの精度が低いなどの技術面に問題があれば、個別にその克服を目指す。漫然とシュート練習をしているだけでは決定力は上がらない。

――「負ければ終わりだったので、試合に出るのが怖く、ストレスだった」。それに対しスペインでは「負けても次があるので、リスクが冒せる」。セーフティーネットが整備されている環境が、自分の責任でシュートというリスクを冒せるチャレンジ精神を育む。